オステオパシーに魅せられて
![]() |
学長 森田 博也, D.O. |
私とオステオパシーとの出会いは、今から15年以上前のことになります。1989年の夏、私の卒業した、米国カークスビル・オステオパシー医科大学(KCOM)が東京で開いた国際セミナーが、その出会いのときでした。自分の手技治療に限界を感じていた当時の私は、何か新しい治療法を求めてカイロのセミナーへ通ったり、外国の文献に当たったりしていましたが、これというものが見つからずに所詮手で行える治療には限界があるのかと思っていました。その時の講師の一人、Dr.マイケル・クチェラの行った講義によって感銘を受けた私は、これぞ私の探し求めていたものとの確信を得ることができました。オステオパシーは医学であり、すなわち科学であるということがわかったのです。
今でこそ、イチローや松井の大活躍で、日本の野球も株を上げましたが、レギュラーシーズンを終えて日米野球にやってくる当時の現役大リーガーにとって、秋の風光明媚な季節の日本は格好の物見遊山の場だったと思います。そんな大リーガーと同様に、Dr.クチェラの講義もどうせ観光旅行のついでにやるのだろうと高をくくっていました。ところが、その講義が真摯なものであることと、今までに体験したことのない高いレベルの内容に、その講義が終わった後もその余韻に酔いしれている自分がいました。世の中にはこんなすごい医学があることを知った感激と驚きで、まさに「鳥肌もの」でした。そして、次に私の中に芽生えてきたのは、この医学を学びたいという欲求でした。当時、日本には古賀正秀先生が健在で、日本のオステオパシーの草分け的存在であり、オステオパシーは彼のような一部の名人/達人にしかできないものというところがありました。そんな観念が誤っていることをDr.クチェラの講義は教えてくれました。オステオパシーは科学である以上、きちんと手順を踏み正しい技術を習得すれば誰にでもできるものであり、決して達人の技ではないのです。だから、アメリカでは大学でオステオパシーを医学として教えている訳で、それを教える学校が日本にないならば、アメリカへ渡ってオステオパシー医科大学に行くしかないと思ってしまったのです。
今こうして自分の歩んできた道を振り返るにつけ思うことは、なんと無謀なことをやったことだと言うことです。最初からオステオパシー医科大学の難しさやその膨大な情報量を知っていたなら、きっとそんな無謀な決断はしなかっただろうなと思います。「知らないことは強いことだ。」といいますが、まさにその通りでした。
渡米してまず、英語の関門がありました。今日では珍しくはありませんが、アメリカ人英語教師のいたキリスト教系の私立中高へ通っていたおかげで、少しは英語ができるように錯覚(?)していたのは、ESLという外国人向けの英語学校へ通っていたときまででした。MCATと呼ばれる医科大学入学に必須な、共通一次試験(センター試験)の特に長文読解のパートには、自分の英語力のなさに完膚なきまでに叩きのめされました。日米ともにいわれることですが専門バカの医者を作らないために、一般教養を医科大入学においても重視する傾向があり、その長文読解では設問が哲学、歴史、詩、心理学等多方面に及びます。そもそも、オステオパシー医科大学は大学院のレベルに位置しますから、MCATの受験生は有名大学の卒業生でしかも上位10%の医学部を目指す優等生たちのグループ、いわばアメリカの頭脳集団です。彼らの英語力に比べ、私の英語の力なんて、メジャー・リーグのピッチャーに対するリトル・リーグのバッター。差がありすぎて比べることができるはずがありません。アメリカへ留学経験をお持ちの方なら、外国人学生向けの英語のテストTOEFLをご存知の方がおられるでしょう。だいたいの有名大学で入学許可を出す 600点を持っていた私ですら、MCATでは15点スケールのたった3点しかとれなかったことからもその難しさが伺えるでしょう。
それでもなんとかMCATの残りの専門のパート(サイエンス)二つで、長文読解の足りない分の点数を稼ぐことができた私は、KCOMの入学選考へ臨みました。ここでは先のMCATの点数と、GPA(大学での成績表)、それに面接が問題となります。なんといっても一番の難関は受験者数の多さです。KCOMの入学定員145名に対してなんと4,000名近い志願者が殺到するのですから、並大抵ではありません。よくアメリカの大学は入学は易しくて、卒業が難しいといわれますが、アメリカの医科大学は入学が難しくて、卒業も難しいと思います。というのも、KCOM へはいるためにかなり勉強しましたが、入学してからも前にも増して勉強しなければならなかったからです。先にも書いた通り、KCOM のクラスメートは全米の有名大学でトップ10%のできる学生ばかりですから、学内のサバイバルも容易ではありません。読む量が半端じゃないのですが、その読むスピードが彼らより劣る私にとっては、読んで理解するのに手間取りました。本当に寸暇を惜しんで、毎日午後の授業が終わって10時間は勉強したと思いますが、ぎりぎりパスしたという科目もありました。
オステオパシーは手技医学や整骨医学ではありません。MD のするアロパティック医学と同様に内科、外科、産婦人科、精神科、小児科等すべての専門科目を持つ医学です。その証拠にオステオパシー医師(DO)とアロパティック医師(MD)教育課程、養成課程、又資格試験等はすべて同等で、交換可能です。つまり、DOが MDの医師国家試験(USMLE)を受験したり、MDのレジデント・プログラムにはいることも、又その逆も可能です。ただオステオパシー独自の主義を持ち、従来の専門科目に加えて、オステオパシー手技医学(OMM)という専門科目を持つところがオステオパシーの特徴です。ですから、オステオパシー医師(DO)には、オステオパシーはアロパティック医学より優れたものという自負があります。対症療法であるアロパティック医学は、全体治療、根本治療を目指すオステオパシー医学に対して、どうしてもその場限りの、「付け焼き刃」的な治療になってしまいます。オステオパシー医学は、西洋医学に東洋医学の考えを併せ持った究極の医学といえるでしょう。そのオステオパシー医学を本場アメリカで学んできた者として、少しでもその究極の医学を日本の皆さんにお伝えすることが、私の役目だと思っております。 その意味において、JCOの学長に就任することはその役目を遂行するには、たいへん効果のあることで、アメリカでの開業の夢を捨てて日本のオステオパシーに微力ながらも尽力することにしました。しかし、まだまだオステオパシーの日本における認知度は低く、「柔らかなカイロプラクティック」などとの誤った認識があります。オステオパシーの文献、教科書の翻訳を医学英語ができるからということで、カイロプラクティックの先生方にお願いしたのがその原因の一つですが、カイロプラクティックのフィルターがかかった日本語訳の出来上がる背景には、100人を超えるドクター・オブ・カイロプラクティック(DC)に対して、DOが私一人という状況では致し方ないのかもしれません。翻訳においては、行間を読むべき場面が多々ありますが、そういった微妙なニュアンスを表現しなければならないことが、教育の場面でもよく遭遇します。正しいオステオパシーはJCOのような正しいルーツをもった教育機関で学ばなければなりません。
そんな難しいオステオパシーですが、一方で生涯をかけて学ぶ価値のある学問ということができるでしょう。皆さんもオステオパシーの家族になって、一緒にオステオパシーを学びましょう。オステオパシーに魅せられた人なら大歓迎です。最後に、冒頭にでてきたDr.クチェラが言った言葉を付け加えておきます。若くしてKCOMの学部長になり、アメリカオステオパシー医学界で要職を歴任しているドクターが言ったことだけに重みがあると思います。「私はオステオパシーを学んでもう25年になるけれども、これからもずっと私はオステオパシーの生徒であって、それは私が死ぬときまでもずっと続くでしょう。」




