プロフィール

小西 玄十, MRO(J)

2016年 JCO卒 
東京都江東区にて feel Oを経営
中高6年を全寮制の学校で過ごす中で「目の前の人を元気にできる」ことを仕事にしようと決意。
幼少時から合気道の稽古続けていたことで「人体構造」について深く考えることが多く、10代の経験が積み上がっていったところでオステオパシーに出会う。
自らの手を通して、人体の可能性を探求しながら、誰かを元気にできることは他にない、とJCOへ入学。
卒業後も技術と同時に稽古をしながら身体の使い方を考える日々。
プライベートでは時間を見つけて旅に出ており、最近の目標は48都道府県への訪問を達成すること。旅先での種々の出会いを楽しみに各地へ足を運んでいる

feel O (フィール・オゥ)
ホームページ https://feel-o.net/

現在、どこで、どのような形で、オステオパスの仕事をしていますか?

江東区のマンションで一人で開業していて一人で施術をしています。

現在の仕事で楽しいところ、充実しているところはなんですか?

1時間枠の施術を終えたあとのクライアントの顔を見た時、スッキリした顔で笑顔を見られることは施術者冥利に尽きると感じています。

逆に仕事で大変だなと思うことはありますか?

強いて言うなら自分でやっている確定申告でしょうか 笑

一人ですべてを行うことに責任はもちろんありますが、自分で捌いていけるのは性に合っていると感じています。

仕事における想いやこだわりはありますか?

今、目の前の人に少しでも心地よくなってもらうこと、困ったときの駆け込み寺のような場所であること、です。

不調を感じていても相談先が分からなかったり、問題ないと言われてしまう方がいらっしゃると思います。そんな方々が気軽に相談できる存在でいられるようにと思っています。

医学を網羅したわけではないですが、JCOでしっかり教わった基礎医学と病理、人体構造の知識をベースに丁寧に話を聞いていくことで、問題を整理できますし、オステオパシーで何ができるかをお伝えすることもできます。絡まった糸が解けることで少しでも安心していただけたらという思いで日々クライアントに向き合っています。

どこかにつらさを抱えていらっしゃる方が多いので、クライアントの感覚を丁寧に拾うことも心がけています。やり取りの中で細かなニュアンスを引き出しながら、状況を絞り込み施術に繋げています。「しんどいところにすっと手が行く人に久しぶりに会った」と言っていただいこともあり、共感力は自信を持っていることの一つです。

同時に自分が治してると勘違いせず、あくまでもクライアントの自然治癒力で回復していることは忘れないようにしています。オステオパシーの哲学を丁寧に学べば当たり前のことではありますが、在学中に講師の先生に教わった時、どれだけキャリアを積んでも忘れてはならないことの一つだと強く感じ、大切にしています。

キャリアにおける印象的なできごとはありますか?

開業してまもなく、長く続く頭痛持ちの方がいらしたのですが、技術も知識も足りず、思うような結果が出ずそれきりになってしまいました。
納得できなかった施術とクライアントが一番の成長の機会だと思うので、その時のことを心に刻んで、アンテナを張って、今ならどう考えて組み立てるかをイメージするようにしています。
在学中から意識はしていましたが、視野を広く、冷静に、と改めて意識するようになったとても大きなきっかけでした。

JCOで学び始めてからはインターンに入る直前に壁がありました。

インターンに入る直前は、自分が施術を組み立てられる気が全くしなく焦りばかりが渦巻いていました。

当時インターンに入っていた先輩に聞き込みを敢行したところ、皆さん口を揃えて「始まればなんとかなる」と、こうなったら腹をくくるしかないと勇気を持って現場に踏み込みました。
インターンは「できませんと言うことがギリギリ許される唯一の1年」だと思っていたので、少しでも分からなかったり、気になることがあればスーパーバイザーの先生に聞いていました。
一方で先生に「現場にいる以上プロだ」とも言われていたので「目の前の人の話を聞いて真摯に向き合うこと」を誓って現場に立っていました。できないことはもちろんたくさんありましたが、その時その瞬間に自分のできる最善を尽くそうという意識は、独立した今でも大切にしていますし、インターンの一年は自分の原点だなと改めて感じています。

学校に入る前は、(オステオパスになる前は)何をしていたのですか?

受験生でした。

なぜオステオパスになろうと思ったのですか?

長く漠然と人の役に立つ仕事がしたいと思っていました。合気道を長く続けていて、人体や体の使い方に興味があったこと、全寮制の学校にいて後輩の相談を受けることが多く話していく中で笑顔になっていくのを見るのが嬉しかったこと、大きくこの2つの理由から、目の前の人を元気にできることを仕事にしたいと思うようになりました。

真っ先に思いついたのは医師でしたが、子供の頃からなぜか病院に抵抗感があり、違う選択肢はないかと探していました。ですが当時の自分の情報の範囲にあったもので納得できるものはなく、何かをするときに医師免許が役に立つのではないか、学びたい内容は医学部が近い、と判断し医学部を目指すことにしました。

浪人していましたが壁は高く、医学部を目指すのをやめて自分の目標に向かおうと決めたときに、知人から教えてもらったのがオステオパシーでした。全く知らない世界でしたが、調べるとちょうど興味のある分野とやりたいことに合致することがわかり、オステオパシーの世界へ進むことを決意しました。

なぜJCOを選んだのですか?、JCOで学んでよかったところはどんなところですか?

人体構造の基礎からテクニックまでを包括的に学べること、インターンが科目に入っていること、海外研修があること、の大きく3つです。

知識だけ学んでも、技術だけ覚えても、意味がないと思っていました。車ではないですが、左右両方にタイヤがないと前には進めないので、その両方を一気に学んでいけたことはとてもありがたかったです。

加えて、個人的に人体構造には元々興味があったので、テクニックを学ぶ中で身体がどう動いて機能しているかを学べたのはとても楽しい時間でした。

インターンという学んだことを実践する現場があり、ちょっと大変な卒業試験とMRO(J)を乗り越えたことは、一人でなんとかできる、という自信に繋がりました。

海外研修はとても貴重な経験をさせていただきました。カリキュラムの都合で私はインターンの年度に行くことになったのですが、研修の前後で施術へのイメージが大きく変わったことは今でも覚えています。

卒業後はどんな風に、学び続けていますか?

オステオパシーのテクニックはJOAのセミナーを中心に、セミナースタッフやカメラアシスタントとして関わらせていただいて、裏方含め学ばせてもらっています。

自分が体の不調をいろいろ経験しているので、それらに対する答えは常に自分の足や目で探して、気になるものは突っ込んで調べて、解決策を複数提案できることは常に意識しています。

病気が増えている時代でもあるので、耳馴染みのない病名や症状を聞いたときは情報を拾うように、アンテナは常に広げるようにしています。
広げたアンテナのおかげか、介護保険のシステムを学ぶ機会があったり、相続等の行政手続きについて学び実践する機会があったりと、オステオパシー以外も学んでいます。

オステオパスとしてのゴールやビジョンはありますか?、これからどのようなオステオパスになっていきたいですか?

こだわりにもある通り駆け込み寺であることです。

JCOの「鑑別診断」や「病理」で病気のことを学び、「生理学」「解剖学」で人体構造を学んできました。おかげさまで何が起こっているのかをイメージすることができるようになり、病気のスクリーニングもできるので、これらを活かして「なんだかよくわからないけど調子が悪い」というときにぱっと相談できる身近な存在でありたいと常々思っています。

私を通して一人でも笑顔が生まれたら嬉しいですし、生まれた一人の笑顔が更に伝播していくと思っているので、その第一歩でいられたらいいですね。

これからオステオパスを志す人に伝えたいことはありますか?

とてもロジカルである一方でとても感覚的な技術だと思います。

経験ではなかなか先人を越えていけないけれど、感覚はその人のものなので自分の感覚は信じてほしいですね。

どこかで必ず学んできたことが統合されて光が差すように感じる瞬間があるので、最初は暗闇の中でもがいてるように感じるかもしれないけれど、必ず前に進んでいるので、信じて歩んでほしいと思います。

インタビュアー:小嶋 智
JCO講師