高校生の時に治療家になることを決め、理想の治療を求めて直感に従い、オステオパスとなった大村先生。現在はオステオパスとして地元の入間市で繁盛院を経営し、多忙ながら充実した日々を送っています。そんな大村先生に、入間市の観光名所でもあり先生の施術院もある、アメリカンな雰囲気漂うジョンソンタウンで、お話を伺ってきました。

プロフィール

大村 潤平, MRO(J)

埼玉県入間市にて Palm Osteopathy を経営。
JCO卒業、MRO(J)。
鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師・柔道整復師

クレニオセイクラルセラピーⅡ・ソマトエモーショナルリリース・クレニオセイクラルセラピー感覚統合・Touching the Brain(グリア細胞) を修了。
オステオパシーとクレニオセイクラルセラピーを通じて、人々が自身の身体と向き合い、本来の健康を取り戻せるよう、日々臨床に勤しむ。

Palm Osteopathy
ホームページ https://www.palmosteopathy.com/

1. 16歳で治療家を志し、理想の治療を求めてオステオパシーへ

ーー ● 大村先生は柔道整復師や鍼灸師の資格を持った上でJCOで学び、オステオパシー施術院を開院されていますが、オステオパシーとの出会いについて教えてください。

高校を卒業した後に接骨院で働きながら、柔道整復師の学校に行き、免許を取得しました。当時は午前中と夜に仕事をし、昼間は学校に行く生活でした。もともとは鍼灸師の資格を取りたかったのもあり、その後、鍼灸師の学校にも行きました。

接骨院で働き始めて間もないうちから、日本の保険制度やその制度内での治療に疑問を持つようになりました。そこで理想の治療を求めて、手技療法に関するいろいろな本を読みました。

当時通っていた学校の教科書に「オステオパシー」という言葉が載っていて、なにかピンと来るものがあり、その日の帰り道からずっと「オステオパシーってなんだろう?」と調べていた記憶があります。血が騒いでいました。そして調べるほどに興味が湧いてきました。

『いのちの輝き』(注1)や『もうひとりのあなた』(注2)を読んだ時、自分が高校1年生の頃にイメージしていた理想の治療はこれだ、と感じました。そしてオステオパスになる決心をしました。一時は鍼灸の学校を中断してオステオパシーを学ぼうとも思いました。しかし当時の勤め先の方のすすめで、鍼灸の学校を卒業して免許を取った上で、改めてオステオパシーを学ぶことにしました。

ーー ● 高校を卒業してすぐ治療家の道を歩み始めたのですね。なぜこの道を選んだのですか?

4歳の頃に、家族で野口英世記念館に行ったのがきっかけです。野口英世が火傷を負った囲炉裏などを今でも覚えています。その後伝記を買ってもらい、何度も読みました。火傷を治してくれた医師に恩返しがしたいと医学の道に進んでいった話に感銘を受け、私も「誰かのためになれる人になりたい」と思うようになったのです。

高校では野球をしていたのですが、1年生の時に怪我をして接骨院に行きました。2回目に受診した時に、「これを仕事にするんだ」という気持ちになったのです。将来目指したいものが見つかったのと同時に、野口英世を知った当時の気持ちが湧き上がり、嬉しくなりました。高校1年で将来の仕事を決めてからは、どのような治療をするか、毎日のようにイメージして過ごしました。高校3年の時には、「将来開業する」と家族に話していました。

2. JCOで独立開業への自信をつかむ

ーー ● JCOを選んだ理由について、聞かせてください。

私は医療系の国家資格を持っていたので、日本オステオパシー学会(JOA)のセミナーで学ぶこともできましたが、それだけでは不十分だと考えました。オステオパシーはアメリカでは4年間の医科大学での教育の後、研修医などを経て習得するものです。セミナーだけで学んだのでは、オステオパシーの基礎もないまま、中途半端になってしまうと思いました。将来開業したいという夢もあったため、最初からJCOに入学した方が、オステオパシーをきちんと習得する上では近道だと考えました。

JCOを選んだのは、スティル先生(注3)の直系の正当なオステオパシーであることや、多くの知識や技術を習得できること、アメリカでの解剖実習やインターン制度などがあったからです。また、JCOの入学説明会で実際に先生方にお会いして、この先生方が教えてくださる学校なら大丈夫だと感じ、入学を決意しました。

ーー ● JCOでの勉強はいかがでしたか?

学校での勉強は、座学にしても実技にしても量が多く、詰め込むのが大変でした。当時は整形外科医院で働いていたので、通学中や病院での空き時間を利用して勉強しました。学費のために食品工場でも働いていたので、一日のほとんどの時間を勉強と仕事に費やしていました。テクニックについては、学校の休み時間や放課後に、クラスメイトや学校の先輩が練習台になってくださり練習することができました。

入学の際、今まで学んできたものを一旦捨てて、イチからちゃんと学びたいという気持ちがあったので、1年次の「体表解剖・触診」の授業などは面白かったです。解剖生理学や応用解剖学の授業も、いろいろな知識が最終的には立体になって一つになる感じがありました。そこまでたどり着くのは大変でしたが、解剖学とオステオパシーの考えが一致した時には、「あー、こういうことだったんだ!」と感動しました。迷走神経の繋がりなど、これまでの医療資格の勉強では出てこなかったものでしたので。

ーー ● JCOで学んでよかったところはどんなところですか?

まず、国家資格者養成校では学べなかった「本物の身体の勉強」ができたことです。身体が協調して機能し支え合っているのを、立体的に学ぶことができました。ある部位に施術を行うと身体の他の場所が変化するとか、いろいろな発見や気づきがありました。大切なのは構造がしっかりしていること、ということも学びました。セミナーだけに出ていたのでは、こうしたことは分からなかっただろうな、と思います。

インターンで実際にクライアント様を施術して学ばせて頂けたことも役立ちました。海外研修で実際に解剖できたのも大きな経験です。今でもJCOで学んだ経験が活きています。

JCOで学んでいるうちに、高校生の時にイメージしていたものと一致してきて、1年目の時点で、将来開業できる、という確信が持てました。「治せる治療家になれるんだ」という希望が見えたのです。結果を出せるようになってから開業したいというのがあったので、この確信を得たことは大きかったです。独立開業に向けて前進することができました。

3. 卒業して1年後に開業

ーー ● 卒業後のキャリアについて、また開業までの準備などについて教えてください。

卒業後は在学中から働いていた整体外科医院で勤務しながら、出張施術でオステオパシーを行っていました。病院で働くことで医療現場を知ることができ、オステオパシーの重要性をとても実感する事ができました。

開業については様々なタイミングが重なり全てスムーズに行きました。だからあまり参考にならないと思いますが、16歳で治療家になるイメージをもってから実際に開業するまでのすべての期間が準備だったと思います。開業するまでにたくさん勉強しておくと良いと思います。

ただ、資金作りは大変でした。夜遅くまで働いて資金を貯めました。

開業すると、病院で働いていた時の患者の方が来院してくれて、「これなら紹介できる」ということでクライアントを数人紹介していただきました。これをきっかけに、紹介でクライアントが増えていきました。

4. 治療家として研鑽を続ける日々

ーー ● 現在は、どこで、どのような形で、オステオパスの仕事をしていますか?

埼玉県入間市にあるアメリカンな風が流れる街、ジョンソンタウンで開業をし、予約制で私一人で仕事をしています。時々、イベントも主催しています。オステオパシーはアメリカ発祥なので、静かな雰囲気の合った場所で開業できて良かったです。卒業後に縁があって施術の依頼を頂いた四国のクライアント様のところへの出張施術も続けています。

ホームページやブログもやっているので、以前オステオパシーを受けていた方や、オステオパシーを受けたいと思って調べてきた方たちにも、ご来院いただいています。クライアントは近所だけでなく、遠方からも来られます。

ー ● 現在の仕事で楽しいところ、充実しているところ、逆に大変なことはなんですか?

一番はクライアント様の笑顔が見られることです。そんな時には、「この仕事をしていてよかった」と感じます。様々なキャリアを持ったクライアント様たちが、色々なお話を聞かせてくださるのも楽しいです。

仕事後や長期休みになると本当にこの仕事が好きなんだなと心から思えて、日々やり甲斐を感じているので充実しています。

中学生や高校生のクライアント様が将来オステオパシーをやりたいと言ってくれたり、1歳の子を持つお母様が将来子どもをオステオパスにさせたいから今から見て学ばせると言って連れて来てくださったりすることもあります。そんな時には、この仕事をやっていて良かったなと思います。

ーー ● 仕事で印象的な出来事はありますか?

たくさんあるので迷います。(笑)

大変な病気を抱えている方がある日、夢について話してくれた事がありました。「夢を叶えたい」と前向きに行動に移していく中で、どんどんご病気が良くなり、あの時本当に病気していたの?と思うくらいに元気になりました。医師から「子供はできない」とも言われていたのですが、お子さんもできました。夢も叶えてご活躍されている姿が印象的です。夢の力って本当に凄いなと感動しました。施術の時間はクライアント様の人生からしたらほんの一瞬ですが、その瞬間に携わる事ができて幸せです。

他にはこんなこともありました。学生の時によくファンキーモンキーベイビーズ(注4)を聴いて、モチベーションを上げながら通学していたのですが、あるご縁でモン吉(注5)さんが来院してくれたのです。そのことは印象的で、今でもそれが私のエネルギーになっています。

ーー ● 逆に仕事で大変だなと思うことはありますか?

大変だなと思った事はほとんどありません。雇われて働いていた時とは違い自分のペースで動けますし、自由で制約がないので楽です。その分様々な責任がついてくるのが大変かと思われるかもしれませんが、私自身は特に大変さを実感する事はありません。人間関係のストレスも無く、開業して良かったと思っています。

ーー ● オステオパスとしてのキャリアにおいて、壁のようなものはありましたか?

壁というものは感じませんが、症状の重いクライアント様が来られたら成長する機会だと思っています。そのような時には、学生の頃の資料やテキストを読み返したり、セミナーに出て学んでいます。やはりセミナーで復習したり新しいものを学んだりすると良い結果が出てきます。

ーー ● 休日はどのように過ごしていますか?

休日はのんびりと過ごしています。映画やドラマを観たり、鉱石が好きなので石と触れ合ったり。生活の中でなるべくきれいなものに出会うように心がけています。

趣味は読書や身体の探究、家庭菜園に、あとは釣りです。読書は仕事関連のものが多いです。身体に関するものや社会に関するものを読んでいます。釣りは、最近では出張施術の際に、四国で釣りをしてきました。三宅島にもまた釣りに行きたいと思っています。

5.  社会から良くしていくことが将来の夢

ーー ● 次は将来のことについて伺いたいのですが、オステオパスとして、将来はこんなことをしていきたい、というのはありますか?

今後も変わらず、一人でも多くの方のお役に立てるように、セミナーに出るなどして勉強を続けていき、オステオパシーを掘り下げていきたいと思っています。事業を広げるつもりはありません。施術を通じて人を良くしていきたいと思っていますし、そこにこだわっていきたいです。新しい知識を学ぶのは楽しみでもあります。

将来的に、小さなコミュニティを作りたいという想いもあります。畑を持つことに興味があります。自然農法は私の行っている施術にも活かせますし。趣味の家庭菜園はその練習の意味もあります。

食事から病気になる、というのもあると思うのです。私は犬や猫など動物の施術もするのですが、ペットフードから病気になることもあると考えています。そういうところから変えていきたいな、と。

ーー ● クライアントの健康を考えていった結果、食事にたどり着くオステオパスは多いですよね。オステオパスとしての理想像はありますか?

やはり学生の時に教えて頂いたJCOの先生方の存在が大きいです。施術していても時々、「授業中こんな事言ってたな!」、「インターンでこう教わった!」、「あのテキストや資料にこう書いてあったな!」、などと思い出すことがあります。あの時の先生方のような存在になりたいと思っています。

ーー ● これからどのようなオステオパスになっていきたいですか?

身体全体だけでなく、社会全体から健康に関して考えていけるオステオパスになりたいです。
ガンを患っていたり克服されたりしたクライアントさんも来られる事があります。どうして医療が発達しているのに日本だけこんなにガン患者が毎年増加しているのか、疑問に思った時がありました。色々調べていくと戦後まで遡ることになりました。現在の社会システムに乗って生活していると病気になるような仕組みが作られてしまった、と考えています。

6. これからオステオパスを志す人達へ

ーー ● 最後になりますが、これからオステオパスを志す人達に向けて、伝えたいことはありますか?

オステオパシーを学ぶと、たくさんの気付きや発見ができ、感動すると思います。

改めてご自身の使命を確認して、それがオステオパスの道ならば、不調で困っているご家族やご友人、クライアント様の事を想い、忘れずに、力を抜いて楽しんで身体の神秘を学んでください。その学びが、ご自身のためになり、誰かのためになり、皆のために繋がっていきます。

オステオパシーの哲学に間違いはありません。

『サトル・オステオパシー』(注6)というオステオパシーの本があるのですが、アメリカに解剖実習に行った時、著者のザカリー・コモー先生(注7)にサインをいただきました。そこには「Best Luck in Osteopathy (オステオパシーで幸運を)」と書いてありました。

オステオパシーに出会い、それをやってきたから今があり、鍼灸や柔整の道だけに行っていたらこの経験はできていないと思います。

注1 『いのちの輝き―フルフォード博士が語る自然治癒力』ロバート・C. フルフォード/ジーン ストーン (著)、翔泳社 米国の伝説的なオステオパシー医で、一般向けの著書が日本語にも翻訳されている。
注2 『もうひとりのあなた―頭蓋仙骨治療法 体性感情解放法』ジョン E.アプレジヤー (著)、科学新聞社出版局 頭蓋仙骨療法と体性感情解放について書かれた入門書。
注3 アンドリュー・スティル MD。アメリカの医師でオステオパシーの創始者。
注4 ファンキー・モンキー・ベイビーズは、日本の男性2人組音楽ユニット。
注5 ファンキー・モンキー・ベイビーズのMC。歌手。
注6 『サトル・オステオパシー―伝説のオステオパス ロバート・フルフォード博士に学ぶ叡智』ザカリー・J. コモー(著)、たにぐち書店 前述のフルフォード博士の治療に関する考えや理論について書かれた専門書。
注7 ザカリー・コモー ウェスト・ヴァージニア・オステオパシー医科大学で教鞭を取り、著書も多数。JCOの海外研修を受け入れ、毎回講義もしていただいた。

インタビュアー・執筆者:佐藤 鉄也
JCO講師
JCO広報・マーケティング担当